ぶっちゃけプログラミング教育って何よ?目標や背景、課題について解説します。
小学校において、2020年度から大きく変わる道徳と外国語。
それに隠れて、実は新たな教育が盛り込まれていることを知っていますか?
その名もプログラミング教育。2020年度から必修化します。「必修」ということは、必ず指導しなければなりません。これ、やらなかったら未履修問題として騒がれる可能性大ですよ!
とは言っても、プログラミング教育で小学生に何を教えれば良いのでしょう?
IT企業のエンジニアのように、カタカタとキーボードでプログラミング言語を打てるようにしなければならないの?
いえいえ、そんなハイスペック小学生を育成するなんて無茶はしませんよ!笑
僕と一緒に、次期学習指導要領が目指すプログラミング教育の姿をのぞいてみましょう。
目指すのは、プログラミング「的思考」
小学校では、CやらJavaやらといったプログラミング言語を打つ、いわゆる「コーディング」ができる小学生を育成するのが目的ではありません。
文科省の資料を引っ張ってきました。
子供たちに、コンピュータに意図した処理を行うように指示することが できるということを体験させながら、将来どのような職業に就くとしても、 時代を超えて普遍的に求められる力としての「プログラミング的思考」 などを育成するもの。コーディングを覚えることが目的ではない
つまり、コーディング技術ではなく、コンピュータにある命令をするためのアルゴリズムを考えるときのような、論理的な思考を育成するのが、小学校のプログラミング教育の目標なのです。
例えば、コンピュータに12時間表示で時刻を表示させたいとき、
- 時刻のデータを取得する
- もし、「何時」にあたる数が13以上だったら、その数字から12を引いた数を表示する
- そうでなければ(つまり、12以下の数字だったら)、そのまま表示する
すごく単純な処理の仕方は、こうなります(多分)。
このように、目的を達成させるために要素化、細分化して手順を組み立てていくような思考力を養っていくことを目指しています。
プログラミング言語を使ったコーディングも、基本的にはこのような思考の流れて作られるものであるので、技術を育てる前に、まずは基本的なプログラミングの「考え方」を培っていくのが、小学校での役割と言えるでしょう。
教科同様、育成すべき資質・能力も明示
プログラミング教育は、教科でこそないものの、教科と同じように育成を目指す資質・能力も示されています。以下の3つです。
【知識・技能】 身近な生活でコンピュータが活用されていることや、問題の解決には必要な手順があることに気付くこと。
【思考力・判断力・表現力等】 発達の段階に即して、「プログラミング的思考」を育成すること。
【学びに向かう力・人間性等】 発達の段階に即して、コンピュータの働きを、よりよい人生や社会づくりに生かそうとする態度を涵養すること。
もちろん、小学生は、6年間でものすごく発達に差が出てくるので、一律に同じ教育は施せません。だから、「発達の段階に即して」という文言が添えられているのですね。
「プログラミング」単独の授業をするのではない
必修化ということは、中高のように「技術」とか「情報」という名前でまた教科が増えるの?と、
心配なさっている方がいらっしゃるかもしれませんが、
小学校のプログラミング学習は、各教科で行うこととされているので、独立した教科になることはありません。従来の教科に織り込んで進めていく形で実施されます。
関連づけられる教科は、総合的な学習を始めとし、算数、理科などの理系教科、そして音楽・図工などの芸術系教科が挙げられます。
もともと総合的な学習の時間は教科横断という特徴があるので、そこにプログラミング教育を絡ませることは比較的容易です。
算数であれば、平行四辺形や正多角形の作図といった図形の描画。理科なら電気分野で扱うことが考えられます。
図工ならば描画する線の長さや座標・範囲の決定、音楽では音の長さや鳴らすタイミングを制御して節を作ることができそうです。
その分字数が増えるのも懸念されますが、ほとんどの学校では必要字数以上の授業字数を確保しているので、(順調に授業が進めば)さほど問題はないでしょう。
改訂される教科書の指導書にも、「ここでプログラミング教育できるよ!」みたいな表示は掲載されそうだと、僕が参加した研究発表で専門家の方が話されていましたので、自分でタイミングが掴めない方はそれを参照されればよろしいかと。
プログラミングは、ビジュアル言語で行う
小学校で取り組むプログラミングは、テキストではなく、オブジェクトを用いたビジュアルプログラミング言語と呼ばれるものを用いた教材を使って進めていくことになるでしょう。
ビジュアルプログラミング言語は、絵やブロックの形をした命令を組み合わせることによってプログラムを作っていくので、小学生でも簡単にプログラミングを経験することができます。
最も有名な教材は上の画像のScratchでしょう。マサチューセッツ工科大学のMITメディアラボが開発したもので、日本語にも対応しています。
僕が先日見てきたのは、Code with Anna and Elsa。その名の通り、映画「アナと雪の女王」のアナとエルサが氷の上をプログラムに沿って滑り、図形を描く教材です。多角形の学習に使えそう。
必修化の背景
そもそも、必修が明記されてこなかった小学校で、なぜプログラミング教育が必修となったのかは、今の社会を見つめれば自明のことです。
プログラミングというのは、これからの時代を生きていくために必ず身につけなければならない、言うなれば掃除や洗濯と同じくらいの重要度を持ったもの。それを会得せずして、これからの社会を生きることなどは、皿洗いの仕方を知らずに一人暮らしをすることに等しいです。
プログラミングされた物に囲まれた今を生きる私たち
プログラミングは、単にコンピューターの世界だけに限った話ではありません。
Society 5.0という言葉を聞いたことがありますか?
内閣府が提唱する、これからの目指す未来社会像で、
サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会
を指すようです。
今、私たちを取り巻くモノの多くはプログラムで制御されたものばかり。電子レンジも、冷蔵庫も、はたまた玄関の鍵も。
どこの場面でもプログラミングされたモノに出会うこれからの未来では、それらをうまく制御する力が求められているというのが、今回の必修かの背景となっています。
自らが生み出したモノに「駆逐される」人間にならないために
AIの技術進歩がハンパないことは、よく話題に上がっていますよね。
AI、人工知能ももとはといえば人類がプログラミングして生み出した人工物なのですが、それによって10〜20年後には今の職業のほぼ半分がAIにとって代わられるとも言われています。
コスト削減の面でいえば嬉しい限りですが、失業者が街に溢れる光景も容易に想像できるこの未来。
人類が生み出したモノによって人類が滅ぼされる。そんな映画のような悲劇を生み出さないためにも、プログラミング的思考を早い段階から養い、ヤツらを制御する力を身に付けることが求められているわけですね。
理想と噛み合わない、学校のICT環境
さて、ここまでお読みいただいた方の中には、
「んなことできるかボケェ!」と、
教育者らしからぬツッコミをされた方もいらっしゃると思います。そのお気持ち、非常に共感できます。
これだけのプログラミング教育を子どもたちに施すには、あまりにも日本は環境が整っていないのです。
物的資源不足
大きな研究大会では、iPadを全児童に使わせて云々といった実践発表がされることがありますが、
そんな恵まれた学校、日本にどのくらいあります?
都心の学校では1学級に1台のディスプレイが供給されていますが、地方に行けばそんなことができるのは都市部にある一部の学校か大学附属校くらい。日本のICT環境は未だに劣悪なのです。
物的な環境を整えようにも予算が厳しいから、亀のスピードで徐々に整備していくしかありません。
世の中にこれだけ軽量化・モバイル化されたパソコンがあるにも関わらす、学校は慣例として教材屋とか教育委員会が認可した業者を通してでしか購入できないから(そうしないと予算が下りない)、購入するのも無駄にお高いものばかり。絵に描いた餅というのは、まさにこのことです。
人的資源不足
もっと致命的なのは、教員のITスキルがあまりに低すぎること。
若手は、大学のレポートをまとめるときなどにPCを使っている世代なので比較的そうではありませんが、特にベテラン層にはコピペのショートカットすらわからない方が数多く存在します。
どんなに物的環境が整っても、それを使いこなす人間がいなければ話になりません。
とは言えど、最近認知され始めた通り、教員を取り巻く職場環境はまさにブラック企業そのもの。今日をやり過ごすことに手一杯な教員に、さらにITスキルを自分で習得する時間などありません。
どんあ理想像を掲げようと、それを実行する教え手がこんな状態では、子どもたちのプログラミングの力が向上しないのは目に見えています。
教育畑の外へ出かけよう
社会全体として、プログラミングを含めたITリテラシーの向上が長い間叫ばれて来たのにも関わらず、なぜ教育分野が推進しなかったのか。
僕個人の考えでは、やはり教員が教育の世界だけに閉じこもっているのが原因だと思えてならないのです。特に教員は、情報テクノロジーといった最先端の技術に対するアンテナが非常に弱い。
どの企業だって、今ではITスキルはなくてはならないもの。それなのに、「子どもにはまだ早い」とか「悪影響があるから使わせてはいけない」とか、臭いものには蓋をしろ的な思考が教員には多い気がします。
一度教育の世界から抜け出して企業社会からの視点に立ったとき、これからの社会には何が本当に必要なのかが見えてくることもあるのではないでしょうか。
使わせないのではなく、どうやって使いこなすようにさせるか。教員も、情報技術と真剣に向き合って行かなければならない時代がいよいよ来てしまったのかもしれません。
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