最近流行りのモンテッソーリ教育とは?不自由な日本の教育界だからこそ輝く教育法!

この記事では、モンテッソーリ教育の概要をご紹介します。

僕のTwitterアカウントでは、教員に限らず様々な方と繋がっていますが、その中で育児に奮闘するママブロガーさんが多くいらっしゃいます。

そんなママブロガーさんのツイートやブログを読むよく出てくる

モンテッソーリという人の名前。

一体誰なんだろうと調べてみると、実は教員の我々にも大変タメになる教育を実践した、偉大なる教育家でした。

なんとあの藤井聡太七段も、この教育を受けていたのだとか。
ならば、なおさら知るかちがありそうですね!

今回は、そんな偉人・モンテッソーリが提唱したモンテッソーリ教育の概要を、ざっくりわかりやすくご紹介します。

根幹は、子どもの「自己教育力」

調べてわかったのですが、なんと日本モンテッソーリ教育総合研究所なる、モンテッソーリを専門的に研究されている団体もあるそうです。

そのHPによれば、モンテッソーリ教育は、
「子どもには、自分を育てる力が備わっている」という自己教育力の存在があることを前提に行われる教育です。

歩くことを教えなくても、歩こうとしたり、積極的に環境に関わりながら様々な事柄を吸収していったりする姿は、子ども自身が自立に向かって、成長・発達していこうとする姿のあらわれといえます。この内在する力が存分に発揮できる環境と、自由が保障された中で、子どもは自発的に活動を繰り返しながら成長していきます。
(日本モンテッソーリ教育総合研究所HPより)

本来、子どもは自発的な知的好奇心を持っていて、大人は子どもの成長要求を汲み、子どもの自発的な活動を助ける役割を果たすべきであるという考え方です。

日本の教育は、どちらかというと一定の知識や価値観を全員に共有させる仕方ですよね。その点では、モンテッソーリ教育はかなり日本式教育と一線を画していると言えるでしょう。

大人は、子どもと「環境」をつなぐ役割

子どもは、対象となる物と出会うと自発的に好奇心をもちます。

ですから、モンテッソーリ教育において重要なのは、好奇心の「対象物」を「どのように」子どもと出合わせるかが大切となり、それを結びつけるの「環境」を整えるのが教員や保護者といった大人の役割となります。

モンテッソーリ教育では子どもの自発的な知的好奇心を第一とするので、一斉指導の教育形態を取ることはありません。

教師はあくまで環境と子どもをつなぐ役割。子ども注意深く見守り、観察することに徹し、子どもが今何に興味をもっているのか、何ができるようになりたいのか、何に困っているのかを読み取る力が求められます。

敏感期

モンテッソーリは、子どもを観察する中で、月齢や年齢によって興味をもつ対象が次々と移り変わることに気づきました。

もともと医師であったモンテッソーリは、脳生理学に基づき、さまざまな能力の獲得にはそれぞれ最適な時期があると結論付け、これを「敏感期」と名づけました。

敏感期は、0〜3歳と3〜6歳の時期に分けられ、
モンテッソーリ教育では以下のような教育環境が用意されます。

0〜3歳期

  1. 粗大運動の活動
  2. 微細運動の活動
  3. 日常生活の練習
  4. 言語教育
  5. 感覚教育
  6. 音楽
  7. 美術

ここでいう粗大・微細運動とは、跳び箱などの運動能力ではなく、ずり這いや握るといった、日常生活上での動作を差します。

この時期の子どもは、無意識下でその先何年経っても会得できないことをいとも容易く吸収します。

この最たる例は、言語ではないでしょうか。

ほとんどの子どもは、この時期に最も聞いた言語を母語として扱うようになりますが、
成長してから第2ヶ国語を習おうとすると、本当に長い年月がかかりますよね。

3〜6歳期

  1. 日常生活の練習
  2. 感覚教育
  3. 言語教育
  4. 算数教育
  5. 文化教育

この時期の子どもは、今まで無意識のうちに会得していたことを、意図的に整理・秩序化していくと言われています。

0〜3歳期にもあった日常生活の練習は、その頃とは異なり、大人の模倣をし始めます。
子どもがおままごとを好むのも、きっと大人の真似事がしたいからなのでしょう。

そしてそれは運動の完成であり、今までに習得した運動能力を組み合わせて初めてできるものです。

子どもは、大人のすることをなんでも真似したがります。しかし、1人でできるはずがありません。

そこで大人の出番です。

「子どもはできないのではなく、やり方を知らないのだ」という考え方に立って、正確にやり方を伝えます。

そして自分のことが自分でできるようになった子どもは、自立に向けた偉大な一歩を歩むことになるのです。

この考え方、教員である我々こそ忘れてはいけないと思うんですよね。

ふとすると、「あの子はできないから…」と決めつけてしまいがちですが、
きっとその子もやり方がわからないだけなのだと考えるようになると、
その子に対する見方もガラッと変わると思うのです。

それに、今こそやれ子どもの自主性だとか自発性だとかと、学び合いがやたらともてはやされていますが、

そもそもの学び合いの仕方が確立してもいない状態で学び合いの効果が発揮されるはずもないんですよね。

子どもの欲求が第一で、その上で学び合う方法を教えるというフェーズを通してこそ、
子どもたち自身での学び合いが成立するのではないでしょうか。

日本の学校では実現しにくい

これだけ、子どもの可能性に寄り添ったモンテッソーリ教育、

なぜ日本の学校では取り入れられないのでしょうか。

答えは簡単。

日本の教育は学校教育法や学習指導要領を中心とした法律で決められ、

その内容ややり方が、子どもの自発性を何より尊重するモンテッソーリ教育と合致しないからです。

日本でモンテッソーリ教育が実践されているのは、幼稚園などの幼児を対象とした教育機関がほとんどです。

だからか、モンテッソーリが提唱したこの教育法が、貧困層や知的・発達障害の児童を対象とした教育家ら発展した歴史をもつことはあまり知られていなく、知的能力を上げていわゆる「お受験対策」に有効な手段という認識が強いようです。

学校ではできないからこそ、家庭で行う価値がある

こうやってモンテッソーリ教育のことを知ると、

何十人もの子どもを1つの教室に押しとどめ、
画一的に同様の内容を教える日本の教育って真逆だなと思いませんか?

僕の住む地域には、全校で30人にも満たないような超小規模校がありますが、
確かにそのような学校であるほど何事にも興味を強くもつ子が多いような気がします。

現在世に流通している知育玩具の多くは、
このモンテッソーリ教育に基づいて、子どもの知的好奇心を刺激するようなデザインや構成になっているものが増えています。

学校で行うには難しいからこそ、子どもの知育に関心があるママさん方は、このモンテッソーリ教育を家庭で実践することに大きな意義を見出しているのではないでしょうか。

こうやって諸外国の教育制度や教育法を知れば知るほど、
今の日本の教育のあり方に疑念を抱かざるにはいられない、ヒロシゲでした。