実は発達と関係している!?子どもの「名前呼び」、いつまでさせる?

近年、僕が気になっていることの1つに、「子どもが自分のことを『自分の名前』で呼ぶこと」が挙げられます。

子どもの頃はそうでも、大体の人は大人に近づくにつれて自分を自分の名前で呼ばなくなっていきますよね。ところが、幼稚園や小学校低学年くらいの子ならいざ知らず、最近中学生や大人の人でも「私」とか「僕」とかでなく、「〇〇ね〜」と自分を指すときに自分の名前を使う人が多い気がします

また、これは僕の直感でしかないのですが、大体この呼び方をする人は年齢に対して言動が幼かったり、自己中心的であったりする人が多いように思えるのです。別に大した問題ではないのですが、一度気づいてしまうと気になって仕方がない。

そこで、今回は話し手のことを指す言葉、一人称が子どもの発達とどんな関わりがあるのかを調べてみました。

人称の変化は、自我と関連する

子どもは、まだ幼い間は周りの大人からかけられる自分の名前や愛称(「ヒロシゲ」であれば「ヒロくん」といった感じ)を使って、自分のことを指します。これは、この発達段階ではまだ自我が発達しておらず、自己と外界の区別が曖昧なためです。

しかし、成長していくにつれて自我が発達すると、他者に対する自己を意識できるようになってきます。

自己としての「わたし」と他者としての「あなた」という客観的な存在関係を認知できることに伴い、「ぼく」とか「オレ」、「うち」などといった一人称代名詞を使用するようになります。つまり、これは裏を返せば一人称を使わずに自分のことをいつまでも名前や愛称で呼ぶ子は、自己中心性が未だに強いかもしれないということです。

文化学園長野専門学校の守秀子先生が発表された「幼児期の自称詞使用に関する実態調査」と言う論文によれば、年少児あたりからこの一人称代名詞を使い始めるそうです。

「ぼく」「わたし」が使える子は、コミュニケーション力がある?

十文字学園女子大学の長田瑞恵先生が発表された「幼児における自称詞の使用」という研究では、自称詞(「ぼく」「わたし」など)を使う子は使わない子と比べて欲求や感情などといった心の動きを表す心的用語の使用が多かったということが報告されています。

自分がどんな子か、どんな様子なのかは自分自身のことを他者目線で見つめること、つまり客観視がしなければできません。このことから、自称詞を使う子どもは他者視点を獲得できていることがいえます。

周りから見て、自分はどうなのか。相手の立場だったらどうなのか。このような相手目線、相手意識がコミュニケーションで欠かせないのは、わたしたちもよく知っているはずです。

人の呼び方は、結構大事

いかがでしたか。

そう言えば、人の呼び方に関わって、最近の子って兄弟間での呼び方も変化しているようにも思えます。弟や妹が平気で年上の兄姉を呼び捨てで呼ぶ姿を度々見かけるようになりました。

名前で呼ばせるのと、「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼ばせるのでは大きな違いがあります。名前で呼ぶ子は、果たしてその子とお兄ちゃん・お姉ちゃんがどういった関係性なのか(ここでは「同じ親の下で育てられている年長の人」)をはっきり捉えているのでしょうか。もしかすると対等な立場だと思ってすらいるかもしれません。

なんてことのない人の呼び方1つにも、意外とその子の発達や社会性に大きな影響があるのですね。お子さんが友達と楽しくコミュニケーションを図るためにも、段階に応じた適切な呼び方を使うように促すことは、決して間違いではないでしょう。