僕が教員を辞めて転職した理由。(前編)

2020年7月1日

この記事は、教育関係者向けの転職について書かれています。

皆様、おひさしぶりです。ヒロシゲです。

更新が止まってから早1年。。。
にも関わらず、サイトに足を運んでくださり、ありがとうございます。

はじめましての方は、プロフィールをご覧いただけると幸いです。

教員、辞めました

さて、この1年間何していたかといいますと、
教員の仕事の傍らで、転職活動をしておりました。

今はエンジニアとして働いております。

転職してまだ3ヶ月弱ですが、結論からいえば
僕は転職した今、本当に楽しく充実した日々を送れています。

唯一の悩みは、収入が激減したことだけですね(笑)
こればかりはいたし方ありません。

辞めてよかったなんて、仮にも元教員が言うことかと
ツッコまれる気もしますが、
僕は今も教育はすばらしい仕事だと思っていますし、
事実、今の勤め先も教育関係に携わっている会社です。

自分の教育への関わり方を変えただけなのです。

今回は、僕が転職に至った経緯をお話ししようと思います。

今まさに、自分の道に迷われている現役の先生方の
参考に少しでもなれれば幸いです。

転職のきっかけは、先輩教員の姿

僕は、7年間の教員生活で2つの小学校に赴任しました。

初任校は市のセンタースクール。2校目は海岸線にある田舎校。

規模は違えど、どちらにも尊敬する先生がたくさんいらっしゃいました。

子どもの見方、接し方が本当の意味で温かくて、
自分の教員人生の目標となる先生とも出会えました。
(子どもを叱るときは、横にいる僕も震えるほど怖かったです)

そんな恵まれた環境だったのに、なぜ辞めたのか。

それは、「職場環境」の一言につきました。

7時半に出勤、23時に退勤

僕が一番尊敬していた先輩先生は、いつも朝早くから学校にいました。

7時半前には必ず出勤し、
朝の会まで1日の授業や指導の準備をされておりました。

そして、16時半に子どもを帰した後、
会議に通信の作成、そして指導案や教材の作成に勤しむ毎日。

教員をしている方なら当たり前のワークでしょうが、
その先生は1つ1つに妥協を許さないんですよね。

その姿に敬服する他ないのですが、それだけの作業量をこなすと
自ずと夜遅くまで残らざるを得ませんでした。
時には一緒に22時、公開研究校に指定されたときは
23時以降も学校に残って一緒に仕事をしたこともありました。

僕としては尊敬する先輩と一緒に仕事ができてとても楽しかったのですが、
独り身で気楽な自分とは異なり、先輩先生は家庭をもつ身。

自分の脳裏でこんな考えが生まれ始めたのです。

こんなに教育に真剣な先生が、こんなに大変な思いをするのはおかしくないか?

教員も1つの「職業」

教育に利益を求めるのは少しおかしな話かもしれませんが、
我々教員の仕事は決してボランティアではありません。

教育を通して労働力を提供し、それに合う対価をもらって働いております。

先輩先生はこれほどまでに働き、そして授業、学級経営ともに高い成果を上げているのに
それなのにこの報われなさはあまりにもないだろうと、
自分の中でモヤモヤが溜まっていきました。

そこから、僕の教員の働き方に対しての疑念が少しずつ芽生え始めました。

やめられない学校

初任校で4年務め、次なる赴任先は海岸沿いの小学校。
全校児童100名にも満たない、ど田舎の小規模校でした。

職員も少ないので、必然的に校務分掌はいくつも兼任するのが当たり前。
僕も例にもれず、教務・研究・生徒指導すべてに在籍した年もありました(笑)

全学年が単級なので、何年生を担任しようが自分が学年長。
他クラスと比較したり歩調を合わせたりせず、
自分がやってみたいと思ったことに挑戦できるのが小規模校の良いところです。

とはいえど、所詮は一教諭。組織の前ではその力もたかが知れたものです。

それを思い知らされたのは、そう、あの上司が赴任したときでした…

(後半に続く)